仁王三郎

仁王三郎
説明 周防国 二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品は「文永 二年 三月・清綱」と切った太刀がもっとも古く、以下一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいます。
二王の呼称の由来については、初代清網が仁玉堂の火災に際して自らの作刀で鎖を切り、仁王等を助けたからであるとの伝承が古いが、最近では同国の二保に居住したことによるのではないかとする説も有力視されています。
本作の二玉三郎は、地刃の出来より鎌倉末期の作と鑑せられ、即ち銘鑑に元弘頃と述べているものに該当するとみられます。
地鉄は小板 目肌が錬れ鉄色明るく白気映りが立ち、刃文は処々細直刃調、処々うるみを見せる等、二王派の特色のよく現れたものです。
毛利家の伝来品で「光山押形」に所載し現存品の稀な同工の在銘作として史料的価値も極めて高いと言えます。
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